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2021/04
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「部下ファースト」ということ
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昨日は、セミナーに参加しました。斎藤徹さんという起業家が「リブート・リーダー塾」といリーダーを目指す人たちのための塾を始めたということで参加しました。そのセミナーはお披露目という意味もあるプレワークショップでした。私は、これまで斎藤さんの著書は読んだことがありますが、お会いしたのは今回が初めてでした。
内容は、ある会社の中間管理職の人の悩みを聞いて、その解決策をみんなで話し合おうというものでした。ワークショップが進むにつれて、最終的には1グループごとに2つ解決策を提案してくださいということでした。それまでに講師の方やその中間管理職の人の話に幾つかヒントがあったのですが、そのお悩みの方が、部下思いであること、斎藤さんが人との関係性が大事だと言っていたことで、私はグループの中で「部下を第一に考えるというのがいいのでは」と言って先輩の会社の話をしました。みんな聞いていて、やや半信半疑の感じがしていたようですが、それをひと言でいえばと言われたのでとっさに私の口から出たのが「部下ファースト」という言葉でした。
その後、各グループがそれぞれ2つずつ提案し、黒板に書いていきました。最後には、お悩みのひとがその中から実行したい提案を幾つか選択することになりました。ドキドキですが、「部下ファースト」が3つの項目の一つに選ばれました。そして、話はこの「部下ファースト」に集まるようになりました。
さて、私は「部下ファースト」ということを言いましたが、自分がそうしているわけではありません。先輩にそういうポリシーを持った会社の社長がいて、その人の会社は業績が伸びているということは知っていました。そこで、これを機会に、セミナーの中で考えました。それは必要なのだろうか。会社、お客さんを差し置いて「部下ファースト」でいいのだろうか。そういったことが疑問に思いました。
でも私の頭の中では、わかったように思います。「部下→客→会社」の順であろうと思ったのです。それは、上司に対しても、お客さんに対しても、同じ順序であろうと思うのです。みなさんいかがでしょうか。
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宗教と道徳の違い
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先日、妻がある幼稚園園長先生の話を教えてくれました。

妻:あなた知ってる?「道徳」と「宗教」のちがい。
僕:さあ、知らないよ。おしえて。
妻:ある園長先生のお話なんだけど。電車に乗っていてご老人に席を譲る。これは何?

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ダライ・ラマ来日講演
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ダライラマ法王が10月31日~11月1日の2日間、両国でお話をされました。
私はどちらもあいにく行っていませんが

2009年10月31日(土) 14:00~16:00 (開場 12:00)
法話「さとりへ導く三つの心と発菩提心」
(ラムツォナムスムとセームキェ)
Three Principle Paths and Generating the Altruistic Mind Enlightenment
於: 両国国技館

2009年11月01日(日)13:00~16:30
東京講演 「地球の未来」への対話 -仏教と科学の共鳴-
Future of the Earth
於: 両国国技館

3日は愛媛で、5日は沖縄であるとのこと。

 ダライラマ法王日本代表部事務所 より

さて行っていないので細かいことは分からないのですが、「twitter」で講演をアップする行為を「つだる」というのだそうですが、そういった人がいないか探しますといました。

31日のまとめがありました。

kirara_397さんの「ダライラマ法王来日」です。その中の質疑応答に私は注目しました。「猊下」はダライラマ法王のことです。


Q: 昨年交通事故で家族を亡くした方と触れ合った。愛情たっぷりに育ててもとんでもない悲劇にあうこともある。遺族は人を恨むこともなく生きてきたのに、事故の加害者を憎むようになった。それでも慈悲と愛情を持てば敵をを愛せるのでしょうか? #ダライラマ来日_

司会: 質問は手短に。 #ダライラマ来日_

猊下: 利他の心で慈悲の心を持つことですが、愛情は動物にもあるものです。慈悲は論理を組み立てることで育むものです。相手を憎むことで生まれる悪の結果は自分自身で引き受けなければならないのです。 #ダライラマ来日_

猊下: たとえば母の愛情は誰もが持つ自然なものです。それを種として色んなこちを考えて愛や慈悲の心を育んでいけば、自分の敵に対しても慈悲や愛情を持つことができるようになるのです。 #ダライラマ来日_

猊下: 自分に害を与える人の場合はその理由を考えなければなりませんが、ただ受け入れろというわけではありません。問題解決のために方法を考えたうえで、その相手を憎むなということです。 #ダライラマ来日_



上記のような答えはたいへん分かりやすいと思いました。





セイクリッド・ダンス
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北スコットランドにあるフィンドホーン共同体に行くと、セイクリッド・ダンスなるものをみんなで行っている。いわゆるフォークダンスだが、ここで行うのに参加すると、小学校で体育の時間に行ったフォークダンスとは別ものに感じた。あれは体育で行うから違った印象になったのだろう。特に小学校では異性と手をつなぐのを嫌がったものだった。これは日本人的な感じ方なのかもしれない。

フィンドホーンでは、世界中のサークルダンスをみんなで行う。そして「すべてはひとつ」ということが行っているときだけでも、実感するのである。

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この休み中に「きみに読む物語」というのを家族でレンタルして見ました。

なかなか感動的な話でした。かなり勝ち気な女の子が主人公ですが、その後結ばれる男性が「君とはいつも正反対で喧嘩ばかりだけど、一所懸命、きみにあわせるよう努力するよ」というところがあって印象的でした。喧嘩しているといっても、必ずしも嫌いなのではないのですね。私も同感です。

最後のシーンもいいエンディングだと思いました。

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娘たちは夜行バスに乗っていく。
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娘たちはテストも終わって、お目当ての音楽家のコンサートに参加するために、夜行バスに乗って行きました。こんな時間なのに、大勢の若者たちがバスに乗っていくのですね。妻は、何度も子供たちのところに行って、手を振っていました。

行ってらっしゃい。

修行ということ。
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修行という言葉を最近聞かなくなりました。
おそらく修行など、したくない人が多いのでしょう。私もその一人ですが、どうも「修行しなさい」と言ってきているとしか思えない事柄がやってくるので困ったものです。

私には娘が3人いるが、初めは私に親など務まるものか、と思っていたのですが、いまだに親らしくなれないのです。もう大学生になった一番上の娘は、向こうの方が親らしいことを言うのです。

ところが、昨日は、その娘にお手伝いを頼んで、「やっていただいていた」のですが、やり方がいまいちだったので、「こうしちゃだめだ!」といったとたん、怒って部屋に帰ってしまったのです。

「えっ?」

ていう感じです。私の青年期は、上の人には、馬鹿、頭が悪い、などとえらく言われていたものです。そのおかげで言われないように励んだものですが、最近の子供には通じません。

「やってあげてるのに、何でそんなこといわれなきゃいけないの?クヤシイ!」

ということだろうと思います。

ここで、修行ということに戻りますが、どちらが修行なのでしょうか?

1「やり方がイマイチだった娘」
2「娘に配慮のなかった私」

私は、これを書いている最中まで、「1」だと思っていましたが、書いて読み直しているうちに、どうも修行が必要なのは「2」、つまり私の方だということがわかりました。どうもまだまだだという感じです。

といっても、真にわかったかどうか不明ですが、ちょっとだけきっかけは掴んだかもしれません。

また、修行をクリアする道が続いていそうです。

好きなことを仕事にするといい?
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「好きなことを仕事にした方がいい」という風潮が昔からあります。
それは、正しいのでしょうか、間違っているのでしょうか。

考えてみましょう。皆様はどちらでしょうか?

私は、どちらも正解だと思います。

ただ、考えておいた方がいいのは、好きではないことも仕事にしても良いということです。
与えられた仕事に一所懸命打ち込む、ということがあってもいいのです。

私は、編集者をしていますが、本は好きではありません。でも、本嫌いな人に読んでもらえる本を作れそうに思います。

ある人に「私は本があまり好きではありません」と言ったら、親切にも「努力して本を好きにならなきゃいけないね」と言ってくれました。

「いやいや、本嫌いな人に読んでもらえる本を私には、作れそうに思うのです」

と言ったら、「はあっ・・・」と言われてしまいました。

私はある意味幸せです。
だって、何にだって、一所懸命打ち込めるからです。

その反面、好きなことを仕事にした人は、幸せなときが多いのかもしれませんが、嫌いなことを与えられたら、悲劇です。

だって、これだけ時代が変わってくると、今まで良いと思われたことが良いとは、必ずしも言えないからです。

これからは、何でも与えられたことに柔軟に取り組み、気持ちを込めて対処できる人が良いように思うのですが、皆様はどのように思われますますか?


誰かの間にいる私。
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私は、誰とも関わらないで一人でいれれたら何といいことか、そう思う人の一人でした。今でも、ボーとするのをこの上なく愛していますが、そのような時間はあまり取ることは出来ずどうしたものかと思っています。

そんな私が、あるとき自分も人の役に立つことがある、そう思ったことがありました。それは、誰かと誰かの間にいて、自分なりにその間であることを自覚して、うけとったボールを次の人に渡すことが出来たときでした。

そうなんだ、間にいることでやれることがあるんだ。そう思えた一瞬でした。

話は飛びますが、いま、私は何かを探すときインターネットを立ち上げて、検索エンジンにキーワードを2、3個入れます。するとブログが出てきます。そして、読み始めてしまいます。なるほど、とか、そうだったのか、などと心でつぶやいています。

そういう意味では、ブログの価値って大きいですよね。

広告代理店の方が言い始めたそうですが、何かを買うまでのプロセスは、次のような感じだそうです。「AISAS(アイサス)の法則」というそうですので紹介しますね。

 A(Atention:注目する)
 I(Interest:興味を持つ)
 S(Search:調べる)
 A(Action:行動、購買する)
 S(Share:情報を共有とする)

うまくいったものです。注目し、興味を持ったら、インターネットで調べて行動して、情報を共有する。

(参考) 「ウェブマーケティング用語集 | AISAS(アイサス)の法則」

これも人と人の間に立って、役割を演じるということですから、人のためになりますし、なりうるからこそ他人が読むのでしょう。ある意味、いい情報さえ流れれば、善循環が起りうるような気がしています。


久しぶりに京都に行って。
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この5月の連休に岐阜に行ったついでに京都まで日帰りで足を伸ばしてきました。

それは、学生時代、妻と知り合った場所で、思い出がたくさんあるところだからです。妻は何年か前からよく「一度、京都に行ってみたいわね」、そう言っていました。私も「機会があれば行ってみようね」と言っていたので、今回実現したわけです。

あれから20数年経ってしまいました。どんなになったのだろう。私は、4年程前に京都駅付近と、繁華街に行っていました。そのときも、ずいぶん違っていたのでびっくりしたものです。バスから見た河原町の大きな書店、駸々堂(2000年に閉店)は見えず、駅前の近鉄デパートの中には旭屋書店が出てきており、また神戸からジュンク堂(京都店、1988年開店)も進出してきていました。(東京に戻ってから知ったのですが、2006年に京都BAL店が河原町に出来ていたのに見落としていました。あのBAL内にあったようです。)その旭屋書店も今回は近鉄デパートごとなくなっていました(2007年に閉店)。話はそれますが駸々堂は、予備校時代、本が好きではなかった私にはじめて本屋で立ち読みで半分ほど読ませてしまった、魅力的な本屋さんなのです。決して小説の類ではありません。そのときはけっこう難しい論文でした。それ以来、本はとても魅力的なものだと知ったのです。

妻も2年程前に大学の同窓会で繁華街にちょっと行ったようでした。でも「いつも行ったいろんなところを見てみたかった」そういっていたので、私も行ってみようかなと思ったわけです。

今回は車で行ったので、あちこち回ることにしました。
学生時代も、妻が車に乗っていたので、よく同乗させてもらって、あちこち連れて行ってもらいました。朝、昼の食事を抜いて、妻とのデート代(コーヒー代、食事代)に使っていたのです。京都国際会議場近くにいっぱいおしゃれな喫茶店がありました。まず、そこに行こうということになりました。

いきなり、道が分からないではありませんか。
今回はナビが助けてくれました。なければあっという間に迷い子でした。
やっとついた宝が池付近、でもいつのまにか住宅地になっていました。昔は、喫茶店以外何もなかったのに。そこでお目当てのお店を探しましたが見当たらず、一軒、よく行った店の一つを見つけましたが、印象とまったく変わっていました。

つぎは、桂の方に行こうと思い、堀川五条を経由して行きましたが、途中知っている景色はほとんどありませんでした。お目当ての、阪急桂駅も2階建てになっていて変わってしまっていたのです。

京都はかつての思い出の地ではなくなったことを確認し、「私たちはまったく浦島太郎ね」そういって京都南インターに向かって帰ったのでした。

いろいろな変化は、私たちも興味があったので情報はある程度もっていました。でも、実際に行ってみると想像をはるかに超えていました。やはり、見るのと聞くのとでは全く違うということです。

やはり、必要なときには実際に訪れて、話したり、体験することの大切さを改めて感じた連休でした。


■参考 
駸々堂、破産する
近鉄京都店の「旭屋書店」閉店セール中

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Author:楽多郎
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